2020-05-26

【大学生編】音大生時代そしてイギリス留学生時代の失敗ばかりの日々

前回は、「音楽を始めたきっかけ」として、主に幼少時代から高校生の頃までの話を書いてみました。

【音楽を始めたきっかけ】子供の頃の自分と音楽について振り返ってみた

今回は、高校卒業後、国立音楽大学での音大生時代、そしてイギリスのリバプールに留学していた時期を振り返ってみたいと思います。

特にイギリス留学時代は、とにかく失敗だらけで大変な事も多かったですが、自分の中ではかなり濃度の濃い充実した時間でした。早速、その頃について書いていきたいと思います。

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個性溢れる人達ばかりでとにかく楽しかった音大生時代

国立音楽大学ではリトミックを専攻していました。

私の中での音大生時代の記憶は、

「とにかく周りが個性溢れる人達ばかりで楽しかった」

これに尽きますね^^

 

周りには、声楽が得意な人もいる、ピアノが得意な人もいる、作曲が得意な人、パフォーマンス(ダンスなど)が得意な人もいる、、、

それぞれの得意分野を持った人達が集まって、なおかつ各々の違いが自然に尊重されていた印象があったので、とても居心地が良かったです。

卒業してからかなりの時間が経っていますが、音楽だったりその他の分野でも、同級生達のクリエイティブな姿勢は変わらないなあと感じているので、それぞれ違った場所に住んでいても刺激を受ける事が多いです。

こちらは、発表会の時の楽屋で撮った写真だと思います。

私は音大生の中では比較的珍しいのかもしれませんが、ボリュームのあるドレスを着る機会が無く、学生時代を終えてしまいました。

在学中から、将来的にはポップスの方に転向するだろうなと考えていたので、ドレスに気が回らなかった感じですね(苦笑) 

ただ、親友が素敵なドレスを着てステージで演奏している様はとっても素敵でしたよ^^

 

ちなみに、音大生には自分が支持している先生の「門下」というものがあって、毎年発表会に出演する事が普通なのですが、私の場合、4年生の時は、留学準備のため(自分の作品を録音したり、約1年間で英語力を大学入学基準値まで上げなくてはならなかった)、最後の発表会に出演しなかったのですが、そんな私にも理解を示してくれた先生が多かったです。

とはいえ、当時の私はまだまだ未熟だったので、振り返ると「両立出来るように頑張っても良かったのかな、、、」と思ったりもします。

 

そして、音大に通いつつ他大学の軽音サークルにも入っていた事もあって、ポップスをスタートしたのは、この時期という事になりますね。当時は、ポップスの曲を歌うとポップス寄りの声になり、発声練習になると完全にクラシカルな声になるという状態でした^^

そして、音大卒業後は、ポップスを中心に勉強するためにイギリスのリバプールに留学する事となります。

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イギリス留学中、失敗ばかりの日々

イギリス留学時代は、大変だった事、楽しかった事の密度がかなり濃く、自分の母国ではない土地で感性を刺激される機会がとにかく多かったです。

 

ちなみに、The Liverpool Institute for Performing Arts の Music Route に通いながら、3年間リバプールに住んでいました。

イギリスの大学は3年課程で、日本のように1年生の時に教養課程を取る必要が無いので(大学前に終えているのですね)、既に日本で大学を卒業していた私には、カリキュラムがちょうど合っていたと思います。

大学では主に、Composition(作曲)をしたり、ミュージカルのプロジェクトの中で演奏をしていたりしました。自分の中では、「創る」という事を中心にしていた時期です。

 

ちなみに、日本の大学の単位は細かく分かれていると思うのですが、私がイギリスで通った大学では、3年生の時の履修科目は全部で3つでした。

「科目」というよりは「プロジェクト」が3つというイメージですね。

大きなテーマが1年通して大きく3つあって、そのプロジェクトを完成させて、卒業作品や卒業パフォーマンスになるという感じでした。

自分で計画して進めていく形だったので、まさに自主性を求められるシステムになっているのですね。

イギリス留学当初、学校には数ヶ月行けなかった

こうやって書いていくと、充実していた事がポンポンと出てくるのですが、実は、渡英当初はめちゃくちゃ大変でした(涙)

 

日本での大学生時代に IELTS(アイエルツ)という英語の試験を受け、基準値だけは大学入学レベルになんとか到達していたものの、本当に、英語力はいくらあっても足りる事はないと痛感しました。

必死に1年間勉強したとはいえ、ナチュラルスピードの英語は、入学当初ちんぷんかんぷんでした。

入学のオリエンテーションでも、さっぱり何を言っているか分からなかったなあ、、、(遠い目) 

ヨーロッパ圏からの留学生自体は多かったのですが、Music のクラスには日本人は私1人でした。(大学全体には、日本人は5人ぐらい在籍していたと思いますが。)

 

あまりにもカルチャーショックが大き過ぎて、早々にホームシックとなってしまい、なんと最初の数ヶ月は大学に行けませんでした。

大学を辞めるあと一歩の所までいきましたが、色々な人の手助けもあって、ギリギリの所で踏ん張る事が出来て大学に復帰します。

最初の段階から紆余曲折あり過ぎました、、、

沢山の人に助けられる日々:「Mayuko, do you have a minute?」

「辛い」という感情に溢れる中、ギリギリのタイミングで「今、本当に大学を辞めてしまっていいのか、、、」「いや、、、格好悪くても良いからもう少しだけ頑張ってみよう。」と思いながらの復帰。

今振り返ると、そう思えたのは幸運だったと思います。

 

とはいえ、気持ちを奮い立たせて授業に出席したものの、英語力がいきなり上がる訳ではありません。先生に授業を録音させてもらう許可をもらったりと、自分から色々な人にヘルプをお願いしていました。

 

そんな私の様子を見てなのか、授業が終わった後に、

「Mayuko, do you have a minute?」

と呼ばれて、学校のベンチに座りながら、直前の授業の内容をフォローするような形で説明してくれる先生もいました。(Mark ありがとうーーーーーー!!(涙))

作詞の授業だったこともあり、英語でその概念を理解する事がとても大変だったのです。

 

ここに書いたのはほんの一部で、毎日のように小さな失敗はしていましたし、分からない事も多かったけれど、毎日を重ねていく事で少しずつ環境に適応出来ていったと思います。

クラスメイトも優しかったですしね。それもありがたかったです^^

 

冷静に考えると、留学したいと思い立ってからイギリスに渡るまで、旅行ですら一度も海外に行った事のなかった私、、、(!!)

基本、転機は勢いだけで押し切っていったような形で、沢山の人達に助けてもらいながら3年間の留学生活を無事に終える事が出来ました。

最後に

日本の音大生時代とイギリスのリバプールに留学していた時の話をざっと振り返ってみました。

特に、イギリスに留学していた思い出を書き始めると、本当に色々な事を思い出しますね。ここに書いた内容だけでは本当に収まらない感じでした。それだけ色々な経験が出来たという事なのかもしれませんね^^

次回は、音楽の仕事編について書いていきたいと思います。

読んでいただき本当にありがとうございました!

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